「壊さないと、作ることが 出来ないんだよー! 」
そう叫んだ、幼い頃の僕。 3つか、4歳か。 多分、その頃の話。
‥別なことを考えていて、ふっと思い出したので、書き留めておきます。
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両親と、幼い頃の、僕。
小さな子供の頃の時代は、もちろん僕にも有りましたw。
あまり裕福では無かったし、教育方針なのか、オモチャは買ってもらえません。
親戚にもらった電車のオモチャを、僕はたいそう気に入っていたようです。
それは、楕円形のレールの上を、新幹線が走る形状 ( もちろん、手押しw ) 。
閉じられた輪っかを超えて、もっといろいろなコースを走らせたい! レールを広げていきたい!! 強く願いました。
だって、パッケージには、そんなイラストが書いてあったから‥。
そこで、お酒を飲んで上機嫌の父に、頼んでみました。
「 レール買ってー! 」
すると、急に父は怒り出し、「 自分で作れ! 」
と、言ったのです。
‥「 俺が子供の頃は、新幹線とか、オモチャなんて無かった 」
なんという理不尽。
あの時の悲しさ怖さは、今でもハッキリ覚えています。
‥実は、僕の親父も変わり者で、なんでも自作する人でした。
もう少し大人になった僕に、ときどき語ってくれた昔話は、まさにサバイバル。
岩手県の山奥出身の父は、子供の頃から手製の罠で動物を捕り、毛皮を売ってたそうです。
罠は針金や木箱を使って、もちろん手作り。
そのお金で銅線を買って、油紙で包んで鉄板に巻きつけてコイルを作り、磁石を水車で回し‥。 中学生くらいの時に、自宅近くの沢で発電して家に電球を灯してたとか‥。
プラスチックやビニール、塗料が手に入らない昔、油紙なら絶縁で防水性も有りそう‥。 その時代を考えると、レベルの高い工作です。
‥思い返すと、あのオヤジ、恐るべしだなぁ‥。
さて、幼児の頃の自分の、お話の続き。
1日くらいレールを睨みながら、車輪がレールを乗り越えて行く方法(イメージ)を、考えてみました。
ダメだ、僕には作れない。
帰ってきた父に、訴えました。
「レールのここが邪魔なの。 ここを壊さないと新幹線がお外に出れないの!」
新幹線が外を走るためには、大好きなオモチャを壊さないとイケナイ事に気が付き、僕は泣き出しました。
「壊さないと、作ることが出来ないんだよー!」
気が付くと、父に頭を撫でられていました。
ふだん、そんな事は絶対にしない人です。
なんか安心した僕は、新幹線のオモチャの事は、その後あまりコダわらなくなったようです。。
‥ついさっき、そんな大昔の事を、ふっと思い出しました。
今、僕に小さな息子がいて、自分で何か工作しようとして、壁にあたって‥。
もし同じセリフを言われたら、僕なら抱きしめるだろうな。
モノがあふれる今、お店で買った物で、十分に暮らして行けます。
おたくの道を追求し、誰かの知的な創作物を、吟味したり、めでたり、消費するのも自由です。
でも、自ら何かを作ったり、オリジナルの情報を発信する側にまわるには、受け身の自分を壊す必要が有ります。
自分の指先を使った工作。 例えばプラモデルでも、どこかを変更しようとしたら、最初の形を壊して作り変えなければ始まりません。
幼い僕が発した、あの言葉は、まさに真理だったのかも。
と、独り合点(ひとりがてん)した、記憶の中の、とある風景のお話し。
本人の僕も、何十年も忘れていた想い出です。
‥そう言えば最近、自分に自我ができた時の事を覚えているか?
みたいなスレを、どこかの、まとめサイトで見かけました。
他人と自分。 取り替えることのできない人生。
幸か不幸なのか、この身体に宿ってしまった、自分という『心』。
誰もが幼いころ、その事実に気が付きます。
僕の自我は、あの頃に形成されたのかな。
その 『
心 』 は、父の血を、 ‥物づくりへの情熱を、色濃く引き継いでいるようです。