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2009年12月10日

「IGU」の読み方 & その理由

最近のブログのオフ会で、皆さんに聞かれたのが、僕のプロフィールの「IGU」の読み方。
「…アイ・ジー・ユーさん」で、いいんですかぁ?


文字って、とりあえず読めてしまうけど、正確な情報は、伝わらないんですね。
というわけで、今さらですが「IGU」の読み方を書いておきます。
→「イグ」と、言います。…ローマ字読みで、そのままです。


僕は昔、東京でバイク雑誌の編集をやっていて(当時・業界2位、発行部数45万部の月刊誌)、そこで使っていたペンネームが「イグアナ」でした。

「IGU」とは、その頃から使っている、名称なんです。


今回から数回に分けて、ちょっとその頃の事でも書いてみたいと思います。
(珍しく、長編の回想バージョン)

→ 「IGU」の読み方 & その理由
  「IGU」の読み方 & その理由(その2)
  「IGU」の読み方 & その理由(その3)




▲僕の愛車の一台。当時でも旧車だった往年の名車。ヤマハRZ250。

…バイクが好きで好きで、しょうがなかった20代 始めの頃。

当時から、工作が大好きだった僕は、何台ものバイクを、いろいろ改造しまくってました。

ボアアップしたり※1、キャブ※2を大口径化※3したり、3ポートのエンジンを5ポート化※4したり、リードバルブを変えたり※5、エアサス化※6したり、レギュレーターをいじって供給電圧を上げてライトを明るく※7したり。プーリーを削り出して加速や最高速を上げたり※8…。
当時でも結構マニアックな改造の数々です(笑)。


ある時、ミニバイク用のチャンバーが欲しくなったのですが、それでも3万円くらいします。
貧乏だった僕には、とても高価な品だったので、さんざん悩み抜きました。

そして思いついた答え。…自分で作っちゃおう!!


思えば、このあたりが僕の「作る人(つくるんちゅ)」人生の始まりです。

3万円でチャンバーを買うんだったら、3万円を自分に投資して、いろいろ調べて自分の手でチャンバーを作ろう。
回り道だけど、ノウハウは身に付くし、その方が「ただ買って付けました」よりも全然面白そう! 絶対に、いいアイデアだ!!


かくして、2万5千円で電気溶接機を買い込み、電話帳(当時はネットが無かった…)で調べた鉄工所に行って頼み込んで、1ミリ厚の鉄板を1メートル四方数枚に切って、数千円で分けてもらいました。

次に、ストックしてあるバイク雑誌から、チャンバー付きのバイクの写真を集め、バイクの主要諸元表の寸法からチャンバーのサイズを割り出して、設計図を書いてみましたが、いまいちアバウト過ぎ。もっと正確な寸法がどうしても必要です。


そこで、思いついたのが、愛読していたバイク雑誌の編集部。あそこなら、きっと、バイクのチャンバーなんかがゴロゴロしているはず。

思い立った次の日に、編集部の住所を地図で調べて、遊びに行ってみました。
(たしか、菓子折1,000円分くらい持って行った気がする)



初めて訪れた編集部は、タバコの匂いが充満し、壁中が資料だらけの、不思議な空間でした。
編集後記の似顔絵でしか知らない編集部の面々でしたが、似顔絵と想像していた本人のイメージは驚くほど近くて、ビックリしたのを覚えてます。(それほど、僕は熱心な読者だったんですねー)

みんなは、変な読者が来たなぁという顔で、それでも何人かは気さくに話を聞いてくれ、読者プレゼント用のチャンバーを出して来てくれました。、
編集長という、一番偉い人はヒマそうで、僕の近くで何かうろうろしてましたっけ。

巻き尺と定規でチャンバーの寸法をあらかた測ってノートに書き留め、礼を述べて帰ろうとすると、「チャンバーは倉庫にまだまだいっぱいあるから出しておく。また来たらいいよ。」と、一人が笑いながら言ってくれました。

その2へ続く



※1 ボアアップ:排気量を上げること。50ccを80cc等にすると、劇的に性能アップ。免許と税金の対策も必要。
※2 キャブ:キャブレターの略。ガソリンと空気を混ぜた混合気を作るための装置。
※3 大きい方が大量の混合機を供給できる。僕は13φ相当のキャブを、ヤスリで広げて16φ相当にしたりしていた。
※4 2サイクルエンジンの掃気ポートの数。多い方が効率が良い。
※5 混合気が逆流しないように塞ぐ弁。堅さにより、使用に適した回転数が異なる。
※6 フロントサスペンション内部を加圧する事で、初期の挙動をスムーズにする目的。
※7 バッテリーレス・システムの場合、12V程度に抑制されている機種がある。運転中の自動車の場合、13~14Vくらいの電圧が供給されている。
※8 スクーター等の自動変速機の仕組みの用語。角度やサイズを変えると、特性を変化させられる。

↑ う~ん! なかなかマニアックになって来た。僕のブログは、こうでないと!


 



2009年12月14日

「IGU」の読み方 & その理由(その2)

  「IGU」の読み方 & その理由
→ 「IGU」の読み方 & その理由(その2)
  「IGU」の読み方 & その理由(その3)

シリーズ物で、珍しく、僕の昔話をつづっています。
バイク大好き少年が、自作のチャンバーを作るため、バイク雑誌の編集部に通っていると…。


最初に遊びに行って、チャンバーのサイズを測らせて貰ってから、数日後。
再びバイク雑誌の編集部に遊びに行ってみました。

約束通り、たくさんのチャンバーが準備されていて、次々にサイズを測ってノートに書き留めていると、編集部の面々がいろいろ話しかけてきました。
問われるままに、乗っているバイクや改造の話をしていると、そばにいた編集長が、ちょっと会議室まで来なさい。と、一言。

編集長は、とても怖いイメージがあったので、やっべー! なんか気に障る事を言ったか…。と緊張していると…、


編集長 「君は、なんでここに呼ばれたか、判る? 」

僕 「あのっ、ショップの人たちが独自に開発したチャンバーを、サイズだけ盗むようなマネをしたのが、まずかったでしょうか…? 」

編集長 「……。」

僕 「…??」

編集長 「君、うちでバイトしない? 」

僕 「はっ?」


青天の霹靂(へきれき)とは、まさに、このことです。

バイク少年にとって、あこがれのバイク誌の編集部。その編集長がじきじきにバイトの話を下さるなんて!
まったく、予想もしていなかった展開に、驚くやら嬉しいやら…。


イメージが湧かなかったら、自分に置き換えてみて下さい。料理が好きな人なら、ミシュランガイドの編集(少し飛躍?)…、ファッションが好きな人ならノンノ誌等、映画なら、車なら、パソコンなら、…etc。

ちょっと、あり得ない抜擢です。


有り難く提案を受け、晴れて僕は編集部の一員になりました。

寝ても覚めてもバイクをいじって、乗り回して、それで幸せだった20代前半。
そんな僕でしたから、毎日が楽しくてしょうがありません。

仕事は、メーカーから広報車両を借り出したり、取材に出かける際にトラックの荷台にバイクを縛ったり、原稿運びに走り回ったり、小さな記事を延々と書いたり、とにかく何でも屋で、出来ませんという言葉が許されない世界です。(最近、ヤンマガの湾岸ミッドナイトで編集部ネタをやっているので、楽しく読んでます 笑)

ペンネームは、最初に声をかけてくれた中堅の人が付けてくれました。
「君、今日からイグアナね。」

えっ? それって面白く無いんですけど。
…とは言えず、ありがたく命名を受け、何年かして記名原稿を書けるようになった頃、徐々に「IGU」に改名していきました。
(このブログの「IGU」は、そこから来ています)


バイト代は最初、月額4万円くらいで、さすがに生活は苦しかったですが、何ヶ月か頑張って嘱託に、そして長いことかかって社員へ。

記事も、少しずつ任されるようになって、後半は顔出し記名原稿で、整備や改造の記事を書かせて貰ってました。
今、30代くらいのライダーなら、もしかすると僕の顔を知っているかもしれません。

← 1989年の鈴鹿8H耐久レースのプレスパス。なんと、今から20年も昔です。…それにしても、生意気そう!(笑)

ちなみに、編集部に遊びに行って、そのままバイトって話。ありがちなようですが、少なくとも僕が在籍した7年間は、僕以外に雇われた人はいませんでした。

読者はたくさん遊びに来るのですが、緊張するのか会話が難しかったり、物欲しそうに備品を触りまくったり、テンションがアレだったり、なかなか仕事となると、一緒にやって行けそうな人は少ないものです。

こうして見ると、僕は、かなりラッキーな部類だったのかも…。

その3に続く。



 



2009年12月15日

「IGU」の読み方 & その理由(その3)

  「IGU」の読み方 & その理由
  「IGU」の読み方 & その理由(その2)
→ 「IGU」の読み方 & その理由(その3)

シリーズ物で、珍しく、僕の昔話をつづっています。
今回は、バイク大好き少年が、ひょんな事からバイク雑誌の編集者になった、その後のお話…。


運良くバイク雑誌の編集者になって、いろいろ記事を任されるようになって…。
こう書いていると、まるで僕は元々才能があったみたいですが、そんな事はありません。

一生懸命に書いた原稿をデスクに突き返され、何度も書き直したり、赤ペンでほとんど原型が無いくらいに校正されたり…。
最初は、自分で言うのも何ですが、使い物になりませんでした(泣)。

何度も繰り返し言われたのが「本を読め」。
小説は結構読んでいたのですが…。

それでも、ある頃から、だんだん判ってきました。文章の書き方が…。
さすがに悔しくて、様々な本を読んだおかげでしょう。


バイク誌の仕事は、取材先でいろいろな話を聞けました。
工作・改造ネタの好きな僕にとって、よだれものの情報です。

FRP工場でのフルカウルやシートの制作過程や、透明なチャンバーの稼働実験。生で見る、最新のレースマシンの数々。当時のワークスレーサーの、リング状の継ぎ目が無いチャンバーの作り方の秘密等、紙面には出せないディープな情報の数々…。

マニアックどころか、本物のプロたちの世界です。

ネットにあらゆる情報があふれている今、こういった情報さえ「あぁ、聞いたことあります」「条件が揃えば僕にも可能ですね」「買った方が早いし」と、白か黒みたいな感覚で捉える人も多いかと思います。

でも、実際に手を動かしている人のノウハウは、簡単にはマネのできない巧のワザ。彼らの言動は自信に溢れ、言葉には重みが有りました。

そして、バイクレースに賭けるレーサーたちの、切実な思い…。

本当にいろいろな人と出会い、貴重な時間を過ごす事ができました。


この編集部では、とても良くしてもらって、約7年在籍していました。

27の時、思うところあって退職し、一人で長い旅に出ました。(サイババに会ったり、ヒマラヤトレッキングしたり、北海道や西表島で働いたり…、機会があったら、この話も書くかもしれません)
▲長い旅の1コマ。北海道のアイヌ一万年祭。


最後に、編集部に入るキッカケになったチャンバー自作の件。

電気溶接機でチャンバーを作るのは結局無理でしたが、その後、知り合いのチャンバー工場を手伝う機会があって、ガス溶接で本物のチャンバーを作ってました。
0.8mm厚の鉄板を、溶接棒を使わずにナメ付けでくっつけたり、耐熱塗料を塗ったり、一応、いっぱしの職人です。

夢は叶うものですねー(笑)

と言うわけで、むか~し昔のお話し。
古過ぎて、さすがにググっても自分「IGU」の情報は出てこなかったので、安心して書いていたりします(笑)。

 



2014年04月05日

昔ばなし! 雑誌屋時代。

昔の写真を見ると、楽しかった思い出たちが、フラッシュバックしてきます。

たぶん「 記憶 」って、かたまり(アーカイブ)になっているのかもですね。


さて、何回か書いてるけど、僕は昔、東京の雑誌社で働いてました。
部署は、バイク誌の編集部。

20年くらいは昔の話なので、普段はもう、思い出すこともありません。


‥最近ふと、夜に泡盛しながら、オークションで、その雑誌のバックナンバーを検索してみたんですよ。
すると、あるある!

バイクブームだった当時、業界2位の人気誌。
別冊もたくさん出してたので、僕が居た7年間に5000万冊以上は市場に出てる計算。

結果、現在でも安く買えるわけで、その中の適当な2冊を、数百円でゲット! 
どの号が届くか、ちょっとワクワクしちゃいました。

入手した本は、かなり保存が良く、キレイな状態。
さっそく、自分のコーナーをめくります。

当時は、整備の記事「オイラはサンデーメカニック」と、ミニバイクのコーナー等を担当していました。




あはは! 自分が書いた記事なのに、なんか、新鮮。

っていうか、顔が今と全然違いすぎますw。
(写真右側。 現在は髭面だし、雰囲気も別物なので、さらしておきます)


写真を見ると、楽しかった当時の自分を思い出します。

この後、雑誌社を退職して、アパートも引き払い、5年の長い旅に出たんだっけ。
‥日本を5週して、アジアを旅して、やがて沖縄に沈没(定住)して‥。
 ⇒ 旅人(キャンパー)時代

はるかに長い旅だったような、短かったような‥。


でもなんていうか、20代の頃は歳を取るのが怖かったけど、オッサンになっても、中身なんて大して変わりはしません。
相変わらず、くだらないモノを作り続けて、駄文を書いてる自分。


こーやって、たまに過去を振り返ると、未来も楽しそうだなぁ。
そんな風に思うんですよ。


人生なんて、たかだか何十年。 それはきっと、あっと言う間。
だったら、楽しまないと損ですね。

「人生、ネタ作り」 これが今の僕の、座右の銘ですw。